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殺陣師段平 1962

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tateshidanpei.jpg殺陣師段平 1962

監督: 瑞穂春海
脚本:黒澤明
原作:長谷川幸延

出演: 市川雷蔵, 中村鴈治郎, 高田美和, 田中絹代, 山茶花究

殺陣師段平 のリメイクである。黒澤明が脚本を書いたのは、1950年のマキノ雅弘監督で作られている。実際は、初期の新国劇の頭取であり殺陣師であった実在の人物、市川段平の人生をモチーフに長谷川幸延が戯曲を書き下ろし、1949年(昭和24年)3月に新国劇自身が初演を行った。

この映画は、大映が制作、段平に中村鴈治郎、、澤田正二郎に市川雷蔵を当てて作ったものである。
中村鴈治郎の段平は、まさに当を得た配役で面白みがあり、悲しげで、ペーソスに溢れた演技である。市川雷蔵は、澤田正二郎をスマートで冷静な男として演じてる。
この話の最後は、段平が脳卒中で倒れても、殺陣を忘れず澤田に国定忠治が卒中で倒れた後にお上に捕まる場面を自分が病気をしたまま殺陣を伝えるところであり、おきくが本当は自分の子であることは、段平も知っていたが、おきくも二人とも父、娘とは名乗れず死んでいくところであろう。

いい映画である。今回は中村鴈治郎の演技に見入ってしまう。そしていい話である。

新国劇が行った演目は月形半平太、国定忠治、大菩薩峠など、なるほど時代劇の有名な題名である。これを段平が、澤田の意向に従って歌舞伎のような演技ではなくリアルな剣戟ものに変えたのである。
段平は、月形龍之介、森繁久彌、藤岡琢也が演じている。
ちなみに、あしたのジョーの丹下段平は、この段平にイメージからとったと思える。

デルス・ウザーラ Dersu Uzala 1975

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デルス・ウザーラ Dersu Uzala 1975

監督: 黒澤明
出演: ユーリー・サローミン, マキシム・ムンズク

1975年 アカデミー賞 外国語映画賞
この映画は昔に見た覚えがあるんだがストーリーは忘れていた。今見ると子供のときに見ても内容がよくわからなかったのかもしれない。

1902年から10年のシベリア沿海地方シホテ・アリン地方を舞台。1923年に出版されたロシア人探検家ウラディミール・アルセーニエフによる探検記録デルス・ウザーラに基づいている。

ロシア人探検家ウラディミール・アルセーニエフは、偶然に出会った先住民ゴリド族の猟師デルス・ウザーラをガイドにして未開の地を探検していく。次第に深い友情を抱くようになる二人。そして2度目の探検でも二人は出会い、デルス・ウザーラは探検に参加するのだが。デルスは、目が見えなくなっていた。

やっぱり凍った湖で遭難するシーンがすごい。自然の美しさ、過酷さが、リアルに描かれている。なんて寒いところなんだろう。第二部では、今度は湿気の多いジャングルのような風景である。この季節感のギャップもすごい。それにしても二人が自然の演技をしているのがすごい。本当に自然の中で生きている実感を観客に起こさせる。
ストーリー展開の中でやっぱり以前見たときに記憶に残らなかった理由は、探検の目的がはっきりと観客に知らされていないことだろう。どのような目的でどこに行ったのか、行程がはっきりしない。ただ探検隊が自然の厳しさに耐えているだけのシーンの連続である。もう少しどこからどこまで探検をして、どこが大変なのかを知らせてもらえるとよかったかも。

約1年にわたる過酷なシベリア・ロケや、撮影のために本当にシベリアで野生のトラが捕獲されたなど、黒澤監督の並々ならない完全主義が見て取れる。
筏が川に流されるシーンもすごい。どうやって撮ったんだろう。デルス・ウザーラ役のキシム・ムンズクがすごいのかな。
映像はやっぱりロシア的なカラー処理である。ちょっと1975年にしては古さを感じさせる。

「ぼくは、デルスのような自然の中でただひとり暮らしている人間、それでたいへん自然を大事にし、尊敬もし恐れている人間、その態度をこそ、いま世界中の人々がいちばん学ばなければならないところだと思います」ー黒澤 明



一番美しく 1944

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一番美しく 1944

監督, 脚本: 黒澤明
出演: 志村喬, 菅井一郎, 入江たか子, 矢口陽子

黒澤明監督の第2作である。
1944年の作品である。まだ日本が戦争の真っ只中にできた映画である。
撃ちてし止まぬから始まり、情報局選定、国民映画である。戦意昂揚映画の一環として企画されたものであるのは確かである。
題名が"一番美しく"である。これが何を意味しているかは映画を見ればわかる。
太平洋戦争も末期に近づいてきたころ、女子挺身隊として軍需工場に配属された若き女性たちの青春、その日常を描いている。
人を思う心、団結力、そして昔懐かしい言葉の滅私奉公がテーマではある。ただここで描かれているのは、戦争中だけでなく、いつの時代にもある若い女性たちが団結して人のために尽くす真っ直ぐで素直な気持ちとその献身的な美しい姿である。
彼女たちの父母を思う心、病気になっても隠して仕事をする、母が病気でもそれを隠して働く、暗い世情の中でそれぞれの出来事が非常に生き生きと描かれている。どの時代の世代が見ても知らずと感動してしまう映画である。

女子組長の渡辺ツルを演じた矢口陽子は、この映画の後黒澤明監督の妻となる。
タラワ、マキン、クエゼリン、ルオットの意味がわからなかったが、日本軍の玉砕地である。
工場生活のリクリエーションにバレーボールが使われているのが。なんか象徴的であり、予見的な気もする。

どん底 1957

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どん底 1957

監督: 黒澤 明
出演: 三船敏郎, 山田五十鈴, 香川京子, 上田吉二郎, 中村鴈治郎, 千秋実,

ジャン・ルノワールのどん底とはストーリーや人物設定がかなり異なる。舞台を日本の江戸時代に置き換えて貧しい長屋に住むさまざまな人間の人生模様を描いている。特に貴族は、落ちぶれた旗本侍になっていて、特に貴族的な雰囲気は一切ない。それよりも巡礼の嘉平がクローズアップされている。
ジャン・ルノワールのどん底の映画で見たときの疑問点が全て解消または削除されている。そこが日本人が作るどん底なんだろう。

この映画の撮影は、入念なリハーサルを経て、複数のカメラで一気に撮り上げるマルチ・カム方式で撮影された。
そこに一人一人の出演者の素晴らしい演技がある。全ての人の演技が非常に雄弁で素晴らしい。またマルチ・カム方式のため、一つのシーンは角度を変えながら、切れ目のないシーン展開が繰り広げられていく。素晴らしい構成である。

最後のシーンでは、歌と酒で紛らわす貧困生活の安堵感を表現しながら、最後に役者の首吊りの発見で終わるところが素晴らしい演出である。

マクシム・ゴーリキーの戯曲どん底自体、しっかりとしたストーリー展開がなく主人公もいないのだが、それをうまく脚色して、入念な準備、素晴らしい撮影と演技で完成された映画である。

フランス映画のLes Bas-Fonds どん底 1936



野良犬 Stray Dog 1949

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野良犬 Stray Dog 1949

監督: 黒澤 明
出演: 三船敏郎, 志村 喬, 清水 元, 河村黎吉, 淡路恵子, 木村功

戦後の混乱期、失業者の多い日本が生き生きと描かれている。裏世界も闇市も。真夏が舞台の映画である。暑い日である。どこまでも暑いのが映画の画像からしみ出してきている。
酔いどれ天使、静かなる決闘に次ぐ、三船敏郎と志村 喬のコンビの映画である。
テーマはアプレゲールである。これはフランス語で、第一次世界大戦後のフランスで、既成の道徳・規範に囚われない文学・芸術運動が勃興を指していたが、この映画では、太平洋戦争後の日本で、戦前の価値観が崩壊し、既存の道徳観を欠いた無軌道な若者による犯罪が多かった時期である。こうした犯罪をアプレゲール犯罪と呼んだらしい。
この映画では、戦後の日本の世代を描写しながら、アプレゲール、戦後派の本当の意味を問うている。

最初に野良犬の顔がアップで出てくる。舌を出して激しく呼吸している。これが、生々しく映画の内容について予感させる。

若い刑事、村上がコルトの拳銃を盗まれ、それが犯罪に使われてしまう。
前半のスリを追っかけるシーンも道路の広さのわりに建物があまりなく、荒れ地ばかりである。戦争の傷跡が残されているのを実感する。

夏の暑さや風情が映画の中にふんだんに出てくる。満員のバス、ダンサーの汗、うちわ、雨、アイスバーなどうまく表現されている。そして雨が降りそうな夕立が来そうな空の暗い雲、サルスベリ、つぶれたトマト、かえるの泣き声、カボチャの料理など映画の中に象徴的なシーンがたくさん盛り込まれている。映画では珍しく、暑い夏の後楽園の巨人戦のデイゲームが舞台として使われている。背番号16の川上と23の青田がでている。そして戦後の日本として屋台、路上での床屋、レビューダンスなど珍しい景色が描かれている。

映画のタイトルの野良犬は、戦後ぐれた若者である。そして犯罪を犯すと狂犬に変わると佐藤刑事に言わしている。

三船の表情がアップで取られていて、彼の表情がとても良い。三船の表情は本当にこの映画の全篇を通して素晴らしい。

遊佐と村上刑事の大原駅での最後の追跡劇は日本映画の中でも本当に名場面と言っていい。
最後の遊佐を追いつめるシーンのカメラのアングルが素晴らしい。まずは足下を映し、泥だらけの靴を発見する。男が立って振り返ると泥を背中まで跳ね上げて汚れている。左でマッチをする。彼が遊佐だ。
対峙する二人のシーンでの緊張感と、平和そうにピアノが鳴る対比がよい。
そして銃声が一発。静かになり、またピアノが鳴る。そして腕からしたたる血、蠅が腕を這う。
アップの遊佐の表情があり、二人の追跡と格闘があり最後に遊佐に手錠をはめ、二人が寝転がり、太陽を見つめる。空を見上げる遊佐に、夏の花が、おそらく白山菊が咲いているのが見える。復員した時にリュックを同じように盗まれた二人の人生は、どうしてこんなに変わったのだろう。チョウチョの歌が流れる。泣き叫ぶ遊佐。


新人の村上刑事とベテランの佐藤刑事の対話が本当によい。いろいろな視点から犯罪者について語られている。どれが正しいとかを主張しているわけではなく、村上と佐藤の立場から言わしているところが素晴らしい。

村上刑事が、世の中には悪人はいない、悪い環境があるだけだ。そんな言葉がありますが、遊佐と言う男も考えてみればかわいそうなやつですね。長い間に戦争に言っている間に、人間はごく簡単な理由で獣になるのを何回も見てきたんです。

佐藤刑事は、いかんいかん、そう言う考えは俺たちには禁物だ。
一匹の狼のために傷ついたたくさんの羊を忘れちゃいかん。大勢の幸福を守ったという確信がなければ、刑事なんか全く救われない。俺は単純にあいつらを憎む。悪い奴らは悪いんだ。

村上刑事が、僕はまだどうもそういう風に考えられないんですよ。長い間に戦争に言っている間に、人間っていうやつが、はごく簡単な理由で獣になるのを何回も見てきたものですから。

佐藤刑事は、君と僕の年齢の差か、時代の差かな。

映画の最後にも同じような二人の会話がある。
村上刑事が、
どうも遊佐って言う男のことが
佐藤刑事が、
最初に捕まえた犯人て 妙にわすれられないものさ、
君が考えているよりあーいう奴らはたくさんいるんだ。何人も捕まえているうちに、そんな感傷はなくなるよ。
窓から外をみたまえ。今日もあの屋根の下でいろんな事件が起こるんだ。そして何人か善良な人間が、遊佐みたいなやつのえじきになるんだ。
遊佐みたいなやつなんか自然と忘れるよ。

戦後の日本を多く描いた黒澤は、戦後の日本人にメッセージを送り続けた。
犯人の遊佐は、復員時にリュックを盗まれたたからグレた。しかし実は村上も同様に復員時にリュックを盗まれた。だから刑事になった。これが二人の分かれ道であり、アプレゲールの世代として、道を外れて犯罪の道にはいることに正当な理由などないと黒澤が言っているのだ。

虎の尾を踏む男達 The Men Who Tread on the Tiger's Tail 1945

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虎の尾を踏む男達 The Men Who Tread on the Tiger's Tail 1945

監督: 黒澤明
出演: 大河内傳次郎, 藤田進, 榎本健一, 河野秋武, 森雅之, 仁科周芳
音楽 : 服部正

歌舞伎の勧進帳を基に,低予算で作った映画である。能の安宅、歌舞伎の勧進帳に当時の人気だったエノケンこと榎本健一を強力に加えて、映画を作った。
弁慶は大河内傳次郎、そして富樫は、藤田進が演じる。義経は仁科周芳で後の岩井半四郎が演じている。安宅や勧進帳の弁慶のイメージは、義経が初めてであったときの弁慶と違い、インテリで、思慮深く機転が気のである。これを大河内傳次郎はうまく演じている。
弁慶の悲痛な気持ちだけが目立ってしまう勧進帳に、強力役の榎本健一を加えて、ストーリーに道化役的な役割を加えて、面白みのある従来にない勧進帳が出来ている。エノケンらしい軽いタッチの演技と大河内傳次郎の重みのある演技の対比が素晴らしい。

生きる Ikiru 1952

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生きる Ikiru 1952

監督: 黒澤明
出演: 志村喬, 小田切みき, 小堀誠, 金子信雄, 千秋実

人間の心の変化を生き生きと描いている映画である。
前半は市民課長を務める渡辺勘治。
無気力な公務員の生活を送っていたが、自分の身体の変調に気づく。そして医師から胃炎と言われたが、居合わせた患者から胃がんの症状を聞き自分の症状と酷似していることがわかり自分が胃がんと実感する。

自分の病気を息子に打ち明けようとするが取り合ってくれない。自分が愛していた息子からも振り向かれない中で、渡辺は酒を飲む。居酒屋で知り合った小説家と共に今まで経験したことない体験をする。翌日ばったり会った事務員の小田切とよ何度か食事を共にするになる。退屈な公務員生活を嫌って玩具工場で働くとよから刺激を受け渡辺も何か死ぬまでに自分に出来るものがあるのではと思い始める。

後半は、渡辺勘治の通夜に出席した市役所の同僚達である。渡辺課長に対する正当な評価をし始め、次第に自分たちのお役所仕事に対する批判を始めるようになった。

脚本や演出そしてカメラワークが素晴らしい。そして前半と後半のストーリー流れの違いがうまく作りこんである。
最初にいきなり胃のレントゲン写真が見せられる。これも観客があたかも患者で医者から見せられたような感覚にもなる。
市役所に陳情にきた人たちを最初は映さず、役人の返答だけを映す方法も優れている。あたかも観客が役所の人たちからたらい回しにされている感覚を覚える。
最後のブランコに乗っているカメラワークが俊逸である。彼のジャングルジムの横からブランコを映しながら、正面に変わる。横からは寂しそうに見えた渡辺の姿が、正面に変わると微笑みをみせながら心地よくゴンドラの唄を歌う渡辺の表情が映し出される。

志村喬の抑えた演技は一生心に残る演技である。バーでほとんど口を開かないで辛そうな顔をしてゴンドラの唄を歌う姿、死を覚悟して目標に向かって必死に働く姿とぎらっと光っている眼、そして最後の満足した表情でブランコに乗りながら再びゴンドラの唄歌う姿。

小さい頃この映画をみて公務員が嫌いになったのは確かだ。公務員はなるまいと思ってしまった。今もう一度見ると同僚達の変化もこの映画は描いていてここに救いがあたったんだと発見があった。
もう一つは、ゴンドラの唄が好きになったことだった。

静かなる決闘 The Quiet Duel 1949

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静かなる決闘 1949

監督: 黒澤明
出演: 三船敏郎, 三條美紀, 志村喬, 植村謙二郎, 千石規子, 山口勇

黒澤明監督が戦後の日本にならした警笛。こんな社会的な映画があったことが驚きである。酔いどれ天使の翌年に作られていて同じく三船敏郎と志村喬のコンピである。

藤崎は軍医で、戦時中の野戦病院で手術中に誤って自分の指を切って梅毒に感染してしまう。復員後、父とともに病院で働くが、婚約者の美佐緒と結婚できない。当時の梅毒の治療は、サルバルサンを長期間投与しなくては行けなく、完治までの時間がかかった。彼はいつなおるかわからない梅毒のため、美佐緒との結婚をあきらめる。そして献身的に医療に没頭して行く。
自殺未遂した元ダンサーの峯岸は、藤崎の秘密を知り,最初は侮辱したが、感染の原因が手術によるものだと言うことを知り、自責の念にさらされる。次第に藤崎の生き方に感化され、子供を育てながら自分も看護師となることを決める。
藤崎が自分の心情を峰岸に正直に吐露するときの迫力が素晴らしい。三船敏郎の名演である。
藤崎の父(志村喬)に、自分の不幸を体験したことで人の不幸を救うことで自分が救われるように生きていると言わしめる。そして息子の人間的な成長があることを喜んでいる。
母子感染や、梅毒の4期での脳脊髄、神経が侵された麻痺性痴呆を映画中でだして梅毒の怖さを教えている。

野戦病院での手術の様子が克明に描かれている。すばらしい緊張感である。すこし三船の結紮の手際は悪いんだが。

虫垂炎で手術後におならがでたら、良くなった証拠と言うのはこの映画からだろうか。
映画でよく出てくるスピロヘータの言葉の意味は、梅毒の原因であるトレポネーマ・パリドムがスピロヘータの一種であり、当時はスピロヘータと言われたからだろう。サルバルサンは、歴史的な梅毒の治療薬。フェノールとヒ素の化合物である。

素晴らしき日曜日 One Woderful Sunday 1947

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素晴らしき日曜日 1947

監督: 黒澤明
出演: 沼崎勲, 中北千枝子, 菅井一郎, 渡辺篤, 堺左千夫

日本の戦後、貧しく若い二人が大切な日曜日を過ごす。戦後の日本の暮らしが垣間みれる。そしてその時代の若者の夢が何だったかも少し感じることが出来る映画である。現代では、何だそんなことなんだ思うかもしれないが、でもよく考えてみれば、自分も若くて貧しい時に何に夢をみていたんだろうかを思い出させてくれる映画でもある。

雄造演じている沼崎勲は二枚目で演技もうまい。昌子を演じている中北千枝子はどこにでもいる少し可愛い子というところ。ほとんどこの二人しか映画には出てこない。この二人の私小説的な映画と言える。
饅頭も高いし喫茶店でコーヒーを飲むのも高い。日比谷公会堂で未完成交響曲の演奏を見ようと思っても先にダフ屋にすべてチケットを買われてしまう。どこに行ってもうまく行かないデートである。結局雄造のアパートに行っても二人が噛み合ない。
そして戦後の荒れ果てた野原で、二人は喫茶店を開く夢を語り合う。なんだそんなものかと、あの頃は、喫茶店を開くのは大きな夢だったのだとしみじみ思わないではいられない。

そして雄造が誰もいない音楽堂で指揮をふる。でも聞こえてくるのは、寂しい木枯らしの音だけである。昌子がどうか私たちに拍手してくださいと叫ぶ。若い二人と共感を分かち合えた観客が拍手すればよい。この時代の映画館では、拍手したんだろうか。アメリカではよくあるけど。どうだったんだろう。そして未完成交響曲が聞こえてくる。

この恵まれない若い二人にあるものは夢と若さである。その若さと夢があれば、何もない所でも雄造が指揮をすれば、奇跡のように未完成交響曲が聞こえてくる。交響曲もまた未完成である。若い二人の夢が現実になるのを願わないではいられない。そこに映画の視点があると思われる。

黒澤映画の"我が青春に悔なし"の日本の戦後をテーマにした続きとも言える作品である。この映画にも、戦後の若もの達が、何もないけど夢をもって強く生きて行く姿を描いているのである。

わが青春に悔なし No regrets for our youth 1946

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わが青春に悔なし No regrets for our youth 1946

監督: 黒澤明
出演: 原節子, 藤田進, 大河内傳次郎, 杉村春子, 三好栄子

原節子の映画は、昔々に青い山脈を見たというおぼろげな記憶しかない。東京物語も見たがやはりこれもあまり記憶にない。その当時、永遠の処女と呼ばれるくらい日本のスターだったと言うことは理解できなかった。おそらく映像自体が今程良い状態でなかったので極めて古めかしい映画だったという印象で、原節子の印象もその中に埋もれていたのかもしれない。

黒澤明と原節子という素晴らしいカップリングの映画。一見の価値はあるだろうと言うことで見た。1945年に日本は敗戦を迎え、1946年は当時GHQの占領下中。GHQが奨励した映画でもある。

第二次世界大戦の前で次第に軍の圧力が強くなっていく時代に、京大を舞台にして起きた滝川事件(京都帝国大学法学部の滝川幸辰教授)をモデルに、これにゾルゲ事件の尾崎秀実(東京帝国大学卒である)をモデルとして組み合わせて作られた映画である。

京都の吉田山のピクニックは、なるほどあの時代の学生のピクニックはこういう感じかと思う。八木原幸枝を演じる原節子のスキップが何とも言えない若々しさを感じる。

藤田進が演じる野毛隆吉と河野秋武が演じる糸川に八木原幸枝を加えた三角関係はまさに昔々からの王道なんだろう。八木原教授への弾圧をきっかけに起きた学生運動が三人の運命を大きく動かして行く。

八木原幸枝は糸川の安定感と常識感よりも野毛の激しさ、正義を貫こうとする生き方に惹かれていた。戦争が始まろうとする気配、軍の力が強くなる日本において、彼女の決心は、彼女と野毛が厳しい状況に置かれることを十分に承知して決めたことである。

父八木原から、"自分で自分の生きる道を切り開いて行くためには、自分の行いに対してはあくまでも責任をとらなくてはいけない自由は戦いとらるべきものであり,その裏には、苦しい犠牲と責任があることを忘れては行けない。"と忠告される。

幸枝は、野毛を選び、一緒に暮らすが、野毛は公安に捕まってしまい、獄死する。野毛の両親のところに行く。そこでは村人が、野毛を家をスパイの家として迫害していた。彼女は野毛の母とともに野良仕事を従事する。この野良作業、田植えのシーンは薄暗がりで行われるのであるが、杉村春子の母役と共に、農作業の迫力を感じさせる。

戦後、八木原教授は京大に戻り、野毛の評価も変わる。幸枝が京都にもどり吉田山にいく。自分が過ごした青春時代を思い出し、自分が歩んできた青春を振り返る。顧みて悔いのない生活を実践している満足感の中で、また幸枝は野毛のふるさとへ帰って行くのである。


黒澤明監督の姿三四郎を演じているし、ウルトラセブンのヤマオカ長官である。八木原教授を演じた大河内傳次郎は、言わずとしれているが、丹下左膳で有名な時代劇スターと思っていた。このような知的な役もはまり役なのを実感する。

全篇に三高逍遥の歌で、紅萌ゆる丘の花が何度も流れる。
原節子が映画の前半にピアノを弾いていた曲は、展覧会の絵のキエフの大門とショパンの前奏曲Op.28, No.19。

当時の青春というのがどいうものなのかすこし理解できるかもしれない。
あの時代に自分の意志に忠実に行動することがどれほど大変であるか、どのような責任を取らなければいけないかが大きなテーマである。それを女性自身が選択肢し、たくましく生きて、戦後の時代を作って行く。それは黒澤明の好きなテーマの一つである。そしてこのわが青春に悔なしと言う言葉が誇り高く重く響いてくる。

醜聞 (スキャンダル) Scandal 1950

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醜聞 (スキャンダル) Scandal 1950

監督: 黒澤明
出演: 三船敏郎, 志村喬, 山口淑子, 桂木洋子, 千石規子

バイクが好きな若手画家の青江一郎(三船敏郎)が、山で知り合った声楽家の西條美也子(山口淑子)と一緒にいるところを雑誌社「アムール」のカメラマンに撮られ、嘘の熱愛記事を書かれる。そのスキャンダルを嫌った青江一郎が告訴をする。そこに弁護士の蛭田が自分が弁護をしたいと名乗り出る。
青江は蛭田をうさん臭い弁護士と思うが、蛭田の家を訪れて結核を患っている娘に出会い、蛭田に仕事を任せる。
ところが蛭田は、相手側の社長の誘惑負けて、不利な弁護をするようになる。

これは青江や、西條が主人公のように思えるが、実際は弁護士蛭田が主人公である。根も葉もない嘘の記事の告訴から始まる、ヒューマンな法律映画である。僕が好きなジョン・グリシャムが描く法律関連の小説にはないヒューマンなタッチで描かれている。

弁護士の蛭田の自分の弱さとの葛藤が描かれている。このヒューマンなタッチがいい。志村喬の名演技が光る。真っ正直な青江の態度と、実は青江に対して好意を持っている西條の微妙な二人の立ち位置が面白い。
そして青江がかわいがっている蛭田の娘正子や青江の絵のモデルであるすみえ(千石規子)が脇をしっかり占めている。そしてアムールの社長の堀(小沢栄太郎)もうまい味付けである。

法廷のでのシーンは双方の弁護士のやり取りも十分練られていて非常に面白い。

昔の日本のクリスマスが描かれているのが興味深い。結核で寝込んでいる蛭田の娘正子(桂木洋子)の見舞いにくる青江と西條。西條が唄うのだが、山口淑子だから本当にうまい。その後の青江と蛭田が飲み屋に行くのだが。そこで流れる蛍の光。蛍の光は、日本では卒業式であるあるが、 ヨーロッパ、アメリカでは、年末に唄われる歌である。ただクリスマスには唄われないが。

白痴 The idiot 1951

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白痴 The idiot 1951

監督: 黒澤明
出演: 原節子, 森雅之, 三船敏郎, 久我美子, 志村喬

原作のドストエフスキーの白痴とこの映画はほとんどストーリが同じである。
舞台が昭和20年代の札幌の置き換えられている。

ここで白痴と言われるのは、知識が著しく劣っていること、そして世間知らずのおばかさんということだが、主人公は、それにまったくの善人である。
ただ、この設定には、僕は矛盾を感じるのだが。この主人公の決断力、洞察力はとても白痴とは言えないのだが。

ここには、那須妙子を愛する赤間伝吉と亀田欽司の三角関係、そして亀田欽司に恋情をもつ那須妙子と大野綾子の三角関係が描かれている。ただ原作の問題なのか、脚本の問題なのか、物語の深刻さ、主人公の善人性が伝わってこない。確かに登場する人物にはそれなりに個性豊かなのだが。

亀田欽司は、那須妙子に自分との共通性を感じる。そして求婚する。情婦だったという悪評はあるが、心の善良性と奥底にある悲しさ,寂しさを感じたのだろうか。
那須妙子も亀田欽司に善良性と奥底の寂しさを感じて惹かれるのだが、自分が彼を不幸にする予感を感じて赤間伝吉と去る。しかし彼に対する愛情は忘れがたく、大野綾子と結びつけて亀田欽司が幸せになってくれるように願うのだが。
亀田欽司が好きになった大野綾子は、一体何の象徴だったのだろうか。普通のブルジョワ家庭にいる女性だったのか。大野綾子が試した亀田欽司の自分に対する愛情は、逆に自分に亀田欽司が那須妙子を愛していることを痛感させる結果になる。

赤間伝吉がどれほど那須妙子を愛しているのかよくわからない。気が狂うまでに愛する理由や、二人の危ない関係があまり描かれていない。赤間伝吉の家は原作通り暗くて牢獄のように映画の中で強く強調されているのだが、その意味合いが伝わってこない。結局那須妙子を愛して亀田欽司を憎しみ、亀田を殺そうとし、最後には那須妙子を殺してしまう赤間伝吉の邪悪性が際立っていない。そう言う意味では、赤間伝吉を演じている三船敏郎の良さがあまり出ていない。

原作のレフ・ニコラエヴィチ・ムイシュキンが亀田欽司、ナスターシャ・フィリポヴナ・バラシュコフ が、那須妙子、そしてパルフョン・セミョーノヴィチ・ロゴージンが赤間伝吉である。
ロゴージンが悪魔、ムイシュキンがイエス・キリストに例えられているという解釈もあるのだが。

最後に那須妙子の死体とともに赤間伝吉と亀田欽司は一夜過ごすのだが、亀田欽司は、また狂ってしまう。最後の展開は僕には解り難かった。実際に原作でも、主人公は狂人となっていたと言うことだが。もっとはっきり伝わるようにした方がよかったのだろう。
自分が本当に愛した那須妙子を殺した赤間伝吉をも許してしまう、亀田自信のやるせない悲しい気持ちが亀田を狂わしてしまったのか。


4時間25分の作品は、松竹の意向で大幅にカットされ166分となった。おそらく、ここでカットされた部分にドストエフスキーの原作にあるところ亀田と那須が結ばれそうになる所が切られているのだろう。そのため最後の展開がわからない。
これは黒澤明の予想外の展開だっただろうが、ただこの小説のテーマをもっと簡潔に扱った方がもっと良かっただろう。

札幌の町に、馬橇が出てくる。あの当時にもう雪祭りもあったのだろうか
香山睦郎を演じてる千秋実が本当に若い、でも年をとっても変わらない人だなと思う。
那須妙子を演じている原節子は、すごく線が濃厚で今まで勝手に思っていた可憐な女性というイメージを変えさせてくれた。

悪い奴ほどよく眠る The Bad Sleep Well 1960

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悪い奴ほどよく眠る The Bad Sleep Well 1960

監督: 黒澤明
出演: 三船敏郎, 加藤武, 森雅之, 志村喬, 香川京子

この時代にこれほどリアルな公団の汚職を扱った映画があるとは。
すばらしストーリー構成と、リアルな暗黒感である。

三船敏郎が演じる西幸一よりも主役は、森雅之が演じる岩淵(日本未利用土地開発公団副総裁)、志村喬が演じる守山(公団管理部長)、西村晃が演じる白井(公団契約課長)の悪人三人が主役だろう。森雅之の娘までだます悪役ぶり、志村喬の上にはへつらい下には怖い顔をする狡猾な上司、そして西村晃の弱々しい下っ端役の配役が素晴らしい。この三人の悪役ぶりが凄いし本当にリアルである。しかし映画の題名になっている本当に悪い奴は、下っ端に悪事をさせて、自分はあんぜんなところから高みの見物をしている奴(おそらく大物政治家)だろう。
西幸一は、父の復讐の為に戸籍を偽り岩淵の娘佳子と結婚する。復讐の為に結婚した幸一は、佳子を抱こうとはしない。しかし次第に幸一は、佳子のことを愛するようになる。すこしハムレットからの設定もあるようだが、この悩める西幸一が三船敏郎のイメージと違う。三船敏郎は、いつものように図太く粗野でナイーブな演技をしていて、映画に重厚感を醸してはいるのが、僕はもう少し繊細な演技の出来る人の方が好きなのだが。特に父の葬式に隠れて出席した悲痛の表情には、あまり哀愁を感じないのだ。それに、愛してもいない岩淵の娘と結婚したが次第に好きになって行く表現ももっと繊細な方がいいんだが、あのような不器用の塊のような表現もいいんだが。

この映画は、結婚式と葬式が出てくる珍しい映画だ。冒頭での結婚式。ワーグナーのオペラ、ローエングリンのブライダルコーラスそしてメンデルスゾーンの結婚行進曲はいったいいつの頃から日本で使われるようになったのだろうか。この席上に新聞記者が一杯いるのには驚いた。そして結婚式で、ケーキカットがあの時代からあったのにも驚いた。そして自殺現場を再現した大きなケーキが出てくるのにも驚きである。

自殺しようとしているところで西に助けられた公団契約課課長補佐の和田は、自分の葬式を見ることになる。この設定も痛快に面白い。和田を幽霊に見せかけるときの車のヘッドライトの使い方が面白い。

この映画は確かに戦後の日本の発展期に官僚機構と建設会社の汚職を映画いている。この汚職体質はその後もずっと続いている。この映画は、その問題性からも全く古さを感じさせないのが凄い。
最後の西と佳子の運命、そして戸籍を交換した板倉の悲痛の叫びは、ハムレットを連想させる。最後の岩渕の電話、そして黒幕に昼間なのについお休みなさいと言ってしまう。そしてタイトルの悪い奴ほどよく眠るがまた現われる演出がいいのである。
実際、この映画の後も何度も汚職の罪をかぶって自殺している人たちがいる。これは日本特有の責任の取り方、江戸時代から続いた封建的な日本社会の体質なのかもしれない。
佐藤勝の音楽はさすがである。
確かにこの映画は日本のフィルムノワールの名作と言って良いだろう。



天国と地獄 High and Low 1963

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天国と地獄 High and Low 1963

監督: 黒澤明
出演: 三船敏郎, 仲代達矢, 三橋達也, 香川京子, 江木俊夫, 佐田豊, 山崎努, 田崎潤, 志村喬, 木村功, 石山健二郎


これは、黒澤明がエド・マクベインの小説キングの身代金に触発され映画化したことは有名。子供の誘拐を扱った事件である。

誘拐犯は、自分の住んでいる部屋と高台にある権藤の豪邸との差を感じて天国と地獄の差があると思った。そして誘拐事件を思いつく。
ナショナルシューズの重役の権藤は高台の豪邸に住んでいた。そして誘拐犯から身代金の請求の電話がかかる。実は、自分の子供ではなく、運転手の子供が誘拐されいた。権藤が会社の実権を握る為に工面した金を身代金のために払わなければ行けなかった。ここで権藤の心が試される。権藤は苦悩するが、最後に運転手の子供のために身代金を用意することを決めた。
誘拐犯との交渉の場面は、この映画が原点かもしれない。犯人からの電話。警察が犯人にわからないように家に入る。逆探知、そして犯人との交渉。身代金の渡し方は特に重要である。警察と犯人の戦いは最高潮に達する。この映画はそこが素晴らしい。列車内の電話を使って連絡をして、突然鞄を落とす場所を指定する。列車から鞄を落とすシーンはまさに迫力がある。
子供は無事に返されるが、身代金を払ったため権藤は破産する。
誘拐犯の竹内が権藤と面会して最後に気づいたのことは、権藤と竹内の違いである天国と地獄は住んでいる場所ではなく、心の中にあることに気づく。最後のシーンは象徴的である。物質的な点で、天国と地獄を考えていた竹内銀次郎は、権藤と会って、本当の問題は心にあることに気づく。そして自分の心が地獄にあり、権藤の心が天国にあることを知ると自虐的な言葉を言わざるを得ないのである。

この映画は本当に印象的なシーンが多い。こだま号151系特急電車から鞄を落とすシーンである。犯人と子供がいるのが窓から見える。そしてあわてて鞄を窓から落とす。本当に緊張感が伝わってくる。そして白黒の景色の中に赤い煙が立ち上がる煙突が見えるシーン。マスキング合成で朱色を着色している。

戸倉警部らが、権藤の自己犠牲を賞賛し、犯人を捕まえるのを鼓舞するところは、確かにそうだが、あまりに権藤をほめすぎるのかと思ってしまった。

後半の場面で犯人が、権藤と接触する。権藤が靴のショーウインドウを見ていたら、竹内が声をかけるのである。僕はこれをみてあ、本当はグルだったのかと思ってしまった。ところが実際はそうでないのである。あそこは、僕の心が曲がっているのか、ストーリーを深く読み過ぎたのだろうか。それにしても紛らわしいシーンを入れない方が良いと考えるのだが。

戸倉警部役の仲代達矢は、無難な演技である。やや仲代達矢くささが全面に出過ぎとも思えるが。
インターンの竹内銀次郎を演じている山崎努が素晴らしい。最後の権藤と面会して話をするところが迫力のあるシーンである。
権藤の息子・純役で出た江木俊夫は、オーディションで選ばれた。後にフォーリーブスの一員になるとは思わなかっただろう。

この映画を見て、いろいろな誘拐事件を思い出した。人の苦しみを利用したどれも卑劣な犯罪である。どの事件でも成功していない。誘拐犯は必ず捕まるということである。そう言えばグリコ・森永事件は一体なんだったんだろう。これは未解決だし、誰も死んでいないんだが。

酔いどれ天使 Drunken Angel 1948

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酔いどれ天使 Drunken Angel 1948

監督: 黒澤明
出演: 志村喬, 三船敏郎, 山本礼三郎, 中北千枝子, 千石規子, 笠置シヅ子, 久我美子

あらすぎは、飲んだくれの医師の眞田は、小さな診療所を営んでいた。彼は飾り気のない言葉と対応であるが、人情味に溢れた医師である。拳銃に撃たれたやくざの松永がやってきた。ヤミ市の顔役松永は、何かギラギラして、寂しげなやくざである。表向きは強がって怖い顔をしているが本当は優しいやつである。眞田は、松永が結核にかかっていることに気づき、いろいろと気遣うようになる。

映画の舞台としては、眞田の診療所の前にあるどぶ川が印象的である。何かぶくぶくと空気が浮かんでくる、ゴミ捨て場でもある。そこは、戦後の焼け跡で、これから復興をして行く町である。このどぶ川が、戦後の混乱した状況の象徴でもある。

主人公は眞田であるが、当時の観客は松永を支持した。松永を演じている三船敏郎の混沌、焦燥感、絶望感が一体となって力強い野性味が表現されているにも関わらず奥底にある優しさが伝わってくるのである。松永はただ破滅して行くだけではなく、自分が岡田に刺されることで、岡田の元の女、美代を助けることが出来ることも感じていのではないだろうか。そこに多くの共感を生んだのだろう。

眞田は、貧しい者や困っている者をほって置けないたちである。それでも自分は飲んだくれである。医療用のアルコールまでお茶で割って飲む。しかし楽しい酒なのか悲しい酒なのか伝わってこない。眞田の屈折した心があまり描かれていない。当初、真面目な医師を描こうとしていたからだろうか。眞田が酔いどれになる心の痛みが伝わってこないのである。、また助けた美代が近くにいて、婆やもいる。どこか孤独や敗北感を紛らわさなくていけない背景が伝わってこない。また美代をかくまっているんだが、少し引いて彼女を見ている。眞田の生の人間性が伝わってこないのが残念。

この映画にはいろいろな人生の縮図とその対比が描かれている。
結核を恐がり治療をしなかった松永と眞田の言葉に従い結核をなおした女学生。そしてしがない診療所で働く眞田と大きな病院で成功した高浜。また松永の女だった,ダンスホールで働く奈々江と最後に一緒に故郷で療養しようと誘う居酒屋の女のぎん。現在のヤミ市の顔役松永と出所したきた兄貴分の岡田。

結核治療薬が当時あったかどうかわからないが、二人の結核患者は対照的な結末を迎える。松永は岡田に勧められて酒を飲み、また自分の女やしまを奪われて自暴自棄になり、破滅して行く。女学生は、きちんと眞田の言うことを聞いて結核を治して行く。
三船は死んで行った過去の人間を表現し、女学生が未来の希望であるようだ。
女学生こそが日本の希望であり、戦争で傷ついた日本がいかに立ち直って行く象徴でもあるようだ。

映画の中で使われた当時の音楽も魅力的である。笠置シヅ子が歌たうジャングルブギ。この曲は、作詞が黒澤明で、作曲が服部良一である。ブルースのギターが、ため池の向こうから毎晩聞こえてくる。そして出獄した兄貴分の岡田が登場して人殺しの歌をギターで弾く。この曲がなかなかいい。女の部屋にあるオルゴールから流れるカッコウワルツもなにか時代を感じさせる。

この作品が黒澤監督と三船敏郎のコンピの最初の映画、これから赤ひげまでこのコンビは続く。

用心棒 Yojimbo 1961

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用心棒 Yojimbo 1961

監督: 黒澤明
撮影: 宮川一夫, 斉藤孝雄
出演: 三船敏郎, 東野英治郎, 山田五十鈴, 加東大介, 仲代達矢


舞台は上州の宿場町。本当なら絹市が立つくらい栄えていた宿場だが、2つのやくざの組の対立が激しさを増している。そこに現れた侍が、二つのやくざの組を潰して、大掃除をして去って行く。
やっぱり名作と言われる映画の一つだろう。名場面がいっぱいあり、それが後の映画に影響している。最初に桑畑がいっぱいあり、そこで道を選ぶ気まぐれな性格がでていて面白い。この映画をまねして道を決めた人が多くいたような気がする。三船敏郎が肩をくねらした演技は、忘れられないシーンでもある。

宿場町の最初のシーンで、片手をかわえた犬が近づいてくる。片手も本当にリアルである。のんびりした風景から急に怪しげな雰囲気に変わる変化は素晴らしく、この物語の象徴でもある。これも以後いろいろな映画に何度も使われる。
...くわばたけ、桑畑三十郎。いや、もうそろそろ四十郎ですが。と言う台詞は、続編の椿三十郎のほうが、題名にも使われたように印象的であった。これは、やっぱり外の風景の桑畑が地味だったこともあるだろう。三船敏郎は、映画が発表されたときは、41歳であるが、映画を撮っていたときは39歳だったかもしれない。
三十郎がけがをして、枯れ葉を的に包丁を投げる練習をするところも素晴らしいシーンである。あれは逆まわしで撮ったもの。

新田の卯之助を演じている仲代達矢も本当に若い。それでもなにか得体の知れない雰囲気を持っていて個性派俳優なんだと思う。

懐かしい水戸黄門でおなじみだった東野英治郎が、飲み屋の親父権爺としてでている。この後の水戸黄門と変わらないしゃべり方である。権爺と桶屋が、三十郎が入った棺桶を担ぐところは、緊張感よりも愉快な場面である。

加東大介の亥之吉も、顔に特殊メイクをして頑張っている。本当の加東大介を知っている者から見れば、ユーモラスだ。
殺陣にこだわりがあり、これがその後の日本の殺陣を変えたと言われるが、後から見たものには、これが当たり前のようで実感できない。
音楽を担当した佐藤勝が作曲したテーマもいい。これは、椿三十郎でも使われている。
終わり方が、突然でそこが軽妙で、見ている者に余韻を残す。


有名な話だが、クリント・イーストウッド主演、セルジオ・レオーネ監督の荒野の用心棒はこの映画のリメイク。こちらも面白かったし、エンニオ・モリコーネ音楽も良かった。

椿三十郎 Sanjyuro 1962

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椿三十郎 Sanjyuro 1962

監督: 黒澤明
出演: 三船敏郎, 仲代達矢, 加山雄三, 団令子, 志村喬

この映画を見るたびに椿三十郎というのは、どんな侍だったんだろうと思う。椿三十郎のキャラクターは魅力的である。確かに用心棒の続編だ。私の名前ですか。...つばき、椿三十郎。いや、もうそろそろ四十郎ですが。このくだりは、用心棒では私の名前ですか。...くわばたけ、桑畑三十郎。いや、もうそろそろ四十郎ですが。である。

今回は前回のようにやくざに一人で向かって行くわけではなく、若侍達にうまく諭しながら力を貸す。そして滅法強い。多人数でも1対1でも。なんか幕府の隠密みたいなんだが。
この映画は三船敏郎らしさが、ふんだんに出ている。 黒澤明も用心棒のヒットで肩の力を抜いて、うまく作っている。

やっぱり椿の花が印象的である。白黒映画であるが、小川を流れる椿の花が艶やかであった印象がある。

シナリオは、おそらく1961から始まった同じ東宝映画の若大将シリーズの、若者達のエネルギー、若さ、未熟さを取り込んで、うまく作られている。
特に城代家老の妻のキャラクターは光っていて、三十郎を食うくらいである。
あなたは抜き身の刀のよう。でも本当にいい刀は鞘に収まっている。と言わせたり、娘とともにのんびりとした会話のギャップがこの物語に素晴らしいアクセントをもたらしている。
緊張感の中のほっとした会話、登場人物の個性、そして主人公の何気ない仕草が見せる映画の必須要素といえる。こうした一本調子ではなく、軽快で軽妙なところが娯楽の醍醐味でこの作品の素晴らしさである。
殺陣は、三船敏郎がすごくて簡単に切って行くのだが、最後に迫力ある居合い抜きの殺陣を持ってきて終わりにする。素晴らしい筋立てである。
音楽も椿三十郎の曲は用心棒と同じで、日本の映画音楽の神様的な存在の佐藤 勝が担当している。最後に三十郎が、肩を小刻みに動かして颯爽と去って行くシーンはまさに音楽とマッチした名場面である。

赤ひげ Red Beard 1965

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原作: 山本周五郎, 赤ひげ診療譚
監督: 黒澤明
出演: 三船敏郎, 加山雄三, 山崎努, 二木てるみ


保本登が長崎で医学を学んで江戸に帰ってきたが、自分が思い描いていた出世の道を歩めず、小石川養生所で働くことになる。そこで、通称赤ひげと呼ばれる新出去定に出会う。保本登は、小石川養生所での経験を積み次第に、赤ひげを尊敬するようになる。
医療ドラマというよりは、ヒューマンドラマである。医学的なことはあまり出てこない。環境対策、食事療法などはでてくるが。
保本登が、いろいろな人々の貧困、死、狂気、病気と立ち向かい医師として成長する過程を描いている。医療の中でも精神のトラウマが中心に扱われている。
映画の中にたくさんのエピソードが詰まっているのに、どのエピソードも魅力があり、185分と非常に長い映画であるが最後まで飽きさせない。終わり方も清々しく満足感を得ることができる。
おとよのエピソードは、ドストエフスキーの虐げられた人びとを基にして山本周五郎の原作から離れている。

撮影は、精緻に構図が決まっていて光と影の使い方がすばらしい。佐八の手の影、保本と狂女の二人の影、おとよの目だけを明るくする照明などが印象的である。
三船敏郎の抑えた演技がいい。そして 加山雄三は非常にうまく保本登を演じている。

蜘蛛巣城 Throne of Blood 1957

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監督: 黒澤明
出演: 三船敏郎, 山田五十鈴, 千秋実, 志村喬, 久保明

シェイクスピアのマクベスを基に日本の戦国時代の話にした作品。
この物語は、蜘蛛手の森にすむ老婆の予言を信じて、主君や友を裏切る鷲津武時と夫に裏切りを勧める妻浅茅を中心に物語がすすむ。このような予言を扱う物語は、シェークスピア以前の物語でも多く使われている。

冒頭の蜘蛛巣城跡の立て札から、霧の中から蜘蛛巣城が現われるのは印象的である。
そして途中の砂塵などの演出は本当に素晴らしい。
特に冒頭の霧のシーンは映画の最後での森が動くシーンと関連して面白い。
鷲津武時とその妻浅茅を映し出すシーンは、いろいろな角度から二人を撮りその関係性が際立って見える。山田五十鈴の妖しい演技がすごい。特に眠り薬を入れた酒を取ってくるシーンは圧巻である。最後の狂い手を洗っているときのメイクも怪しさを際立てている。
三船敏郎の目力がすごい。すごい迫力を感じる。しかし三船敏郎の演技は素晴らしいが、やや単調。もう少し繊細な演技ができる俳優の方が良かったのではと思ってしまう。マクベス像がどのようにイギリスで作られているかは知らないのだが。妻から助言に心が揺れるようなやや神経質で自信のなさと役者が良いのではと思える。浅茅役の山田五十鈴は、この役にぴったりのイメージである。ただ狂ったときのメイクはもう少しやつれた雰囲気を加えた方が良かったのでは。
蜘蛛手の森に現われる奇妙な老婆はもう少し演出しても良かったか。あまりにみすぼらしく見えてしまう。

そこは戯曲的でドラマティックではあるが、映画的ではないかも。これだけ戦いがある時代に育って、主君を殺したこをそそのかしたことで狂うまでの強い罪の意識を感じるだろうか。ストーリー流れの中に、浅茅が流産によって自分が子供を生めないことに強い失望を感じる。そこに夫に主君や友を殺すことを助言したために呪われているのではかと思う、そして気が狂って行く。という過程が描かれていないのが残念。
後半の展開で臣下に予言の話をすること自体が自分の正体をばらしている。これによって家臣の中に敵と通じているものがいて、森が動くように仕組んだならさらに面白いのだが。


鷲津武時が最後に矢により首を射抜かれるまでのシーンは素晴らしい。しかし
それでも殺されるまでにかなり時間がかかり、三船の演技も一本調子でやや冗漫と思えてしまう。

最後に鷲津武時が死ぬのは、愚かにあっけなく死んで行く方が印象に残る。運命というのはあっけないものだと言うことを示していて。自分を中心に回っていた世界が、冷酷な運命によって簡単に翻されるのを感じるのでは。
予言と言うのは自分の幸福な運命を予告するものではなく、冷酷にもその自分の最後も言い当てることができると言うことだろう。

この映画は、一つ一つシーンがドラマティックであるが、その演出の為に全体のストーリーの主題、意味(ここでは運命)が見失われている。これは、多くの黒沢映画で言えることだろう。

隠し砦の三悪人 1958

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隠し砦の三悪人 1958

監督: 黒澤明
出演: 三船敏郎, 上原美佐, 千秋実, 藤原釜足,

文句なしに楽しめる黒沢映画の一つである。太平と又七の弥次喜多的なキャラクターの存在がこの物語の要であり、常に観客を引きつけて止まないところだろう。ただ真壁六郎太(三船敏郎)と田所兵衛(藤田進)のやり取りにはすこしストーリー的に無理があるとは思うけど。真壁六郎太が逃げる侍を追いかけ切るシーンのできは、切れ目も無く流れるようなシーンになっていて本当にすばらしい。火祭りの踊りの場面は、北野武監督映画座頭一の踊りの場面に影響を与えているだろう。
太平と又七のキャラクターはその後スターウォーズのR2D2とC3POに受け継がれる。これにお姫様が加われば、ほぼストーリの中での役割が同じであることがわかる。ジョン・フォードの影響を受けた黒沢明は、後のアメリカの映画人に映像だけではなくストーリの作りにも強い影響を与えたのである。